
社内教育制度を改善する実践ポイント──リスキル時代に求められる社内教育制度の設計・運用とは?
日本の社会人は先進国の中でも「最も勉強しない」と言われています。 社会人の学習時間は他国と比べて著しく少なく、企業の教育制度が形骸化していることが一因とされています。 DXによるスキル陳腐化の加速や少子化を背景に、人的資本経営が求められる今、社員の継続的な能力開発は経営課題そのものです。 本稿では、企業の人事・育成担当者に向けて、社内教育制度の改善に必要な視点と実践ポイントを解説。 制度設計から運用、現場浸透まで、育成効果を最大化するためのヒントを提供します。
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なぜ日本の社会人は学ばないのか?
べネッセコーポレーションの2024年調査では、約4割の社会人が学ぶ意欲や学習経験をもっていないとされています。 日本の社会人が学ばない背景には、個人の意識というより、企業の制度設計や文化の問題が潜んでいます。 本章では、国際比較と構造的課題を明らかにします。
日本の社会人の学習時間は米・英の1/3
2025年に日本・米国・英国・中国の20-30代の正規職男女に対して行われた調査では、日本の社会人の1日あたりの学習時間は平均38分で、米国の約111分、英国の約118分、中国の約98分と比べ著しく少ないことがわかりました。
直近1 年間に学んだ内容についての質問では、米国・英国・中国では「IT系」「ビジネススキル系」「デザイン系」に含まれる項目の学びを多く実践していたのに対し、日本では「あてはまるものはない」がもっとも多く(36.6%)、ついで「お金・資産運用」「教養・学問」という結果に。 学習できない理由として、日本の回答者の66.6%が「時間がない」を挙げ、次いで48.1%が「学習意欲が湧かない」と回答。 とくに「時間がない」は、日本の回答率が4か国中で突出していました。
学ばない理由と企業側の構造的課題
教育制度が「新卒研修」中心で、継続的な学習設計や制度支援が少ない
職場の学びに対する制度・施策について、4か国共通で多かったのは「学習教材を購入するための金銭的な支援」と「必要な学習にアクセ スできる環境(eラーニングなど)」で、これらは利用率も高い結果に。 ただし日本は制度・施策の数が全体的に少なく、「ある」と答えた人の利用率も低いことがわかりました。 従業員1,000人以上の企業に限って日本と米国を比較すると、制度・施策の数は両国に大きな差がないにもかかわらず、利用率は日本が低い結果になりました。
評価制度と教育が連動しておらず、学んでも昇進・昇給に直結しない
学びによってキャリアアップした経験は、米国、英国、中国は5割以上が「昇給したことがある」と 回答する一方で、日本は昇給、昇格、希望の部署への異動のいずれの比率も低く、43.3%が「あてはまるものはない」と回答しています。
学習時間を業務時間に組み込む制度の不足
先進国のなかでもとくに社会人の学習時間が長いフィンランドでは、就労中の学習支援や職場での学びの統合が制度的に支えられています。 同じく長いスウェーデンは、国家戦略として学校・職場を問わずデジタル学習を制度化。 これに対し、日本では「自己責任型」の学習が主流で、制度的支援が乏しいことが指摘されています。
リスキリングが求められる背景と企業の課題
現代においてリスキリング・アップスキリングは人的資本経営の中核です。 背景には社会構造の変化と技術革新があり、企業は育成の再設計を迫られています。
DX・人的資本経営・少子高齢化の三重苦
少子高齢化で採用への投資対効果が頭打ちになり、DXによる業務効率化・価値創造で人材不足に対処する企業も多い一方、DXソリューションを「現場がスキル不足で活用できていない」と回答する経営層が少なくありません。
DX推進により、既存スキルが陳腐化しやすくなっている。
人的資本経営では、育成施策の開示と成果が求められる。
少子高齢化により、採用よりも育成が重要に。
リスキル推進を阻む3つの壁
リスキルが容易な、学習の個別化機能をもつマイクロラーニング形式の学習ソリューションは増えています。 しかし「学習コンテンツは豊富にあるが活用されていない」という企業の悩みは依然として続いています。
時間的制約:業務が忙しく、学習時間が取れない。
意欲の低下:学習が評価やキャリアに結びつかない。
コンテンツ不足:現場に即した教材がない。
次章からは、この三重苦時代にどのような社内教育制度をとるべきか、その設計のポイントを紹介します。
育成効果を最大化する制度デザインの要点
戦略に資する人材を効果的に育成するには、「目的設計」「スキルマップ」「評価連動」の3点をおさえることが重要です。 人的資本経営が重視される今、これら要点がおさえられていない社内教育は、社員に負担をかけるだけの「やらないほうがまし」な施策になりつつあります。
目的設計とスキルマップの整合性
目的とスキルが一致していないと、制度が形骸化します。 とくに階層別研修など基幹スキル教育を、「長年実施しているし昨年の内容で受講者の満足度も高かったから」となんとなく数年同じ内容にしている、ということはないでしょうか。
企業戦略と人材要件を明確化し、育成目的を定義。
スキルマップを用いて、必要スキルと現状のギャップを可視化。
学習プロセスと評価設計の連動
冒頭で述べたように、日本の企業は、欧米企業と比べ学習が昇進・昇給に影響していません。 人材の継続的なリスキル・アップスキルが企業の競合優位性になる現代、学習と評価の連動は必須といえます。
学習→実践→フィードバック→評価のサイクルを設計。
評価制度に「学習行動」や「スキル習得」を反映。
教育制度設計の5ステップ
戦略・評価に連動した教育制度を構築するため、学習プロセス設計の前後のステップを必ずおさえましょう。
▶図1: 教育制度設計の5ステップ

人材開発担当者と研修の打合せをすると、人材要件や育成目的が観察可能な行動レベルに具体化されていなかったり、スキルマップが数年間刷新されていない、というケースをよく見ます。 まずは特に重要なスキルとその必要レベルだけでも、学習プロセス設計の前には定義・最新化しましょう。 DXによるスキル陳腐化の加速から、スキルマップは基本1年で更新すべきという指摘が多いです。
参考)スキルマップ作成の6ステップ
目的を明確にする
- 例:人材育成、適材適所の配置、公平な評価、技術継承など
- 目的が曖昧だと評価が形骸化する恐れが
2. 必要なスキル項目を洗い出す
- 業務ごとに必要なスキルを抽出
- 職種別に分類するとより実用的(営業、IT、製造など)
3. スキル体系を分類する
- 共通スキル(例:コミュニケーション)と専門スキル(例:Javaプログラミング)に分ける
- 階層化(初級・中級・上級)すると育成計画が立てやすく
4. 評価基準を設定する
- 例:0(未経験)〜3(指導可能)などの段階評価
- 評価者を明確にし、主観を排除する工夫が必要
5. フォーマットに沿って作成する
- Excelや専用ツールを活用すると効率的
- 厚生労働省やIPAが提供するテンプレートも参考に
6. 定期的な更新と運用
- スキルの変化に応じて更新
- 更新頻度は半年(デジタルテクノロジー系部署など)〜1年が目安
制度を活かす運用と現場浸透の工夫
多くの企業が、「制度は整備したが機能していない」課題をかかえています。 ここからは、制度構築後の現場での運用と浸透のポイントを、その障壁への打ち手とともに紹介します。
受け身を脱却する「学習文化」の醸成
学習を「業務の一部」として位置づけることがまず第一歩です。 これなしでは、学習を重視できる社員のみが学習機会を享受し、社内教育制度の目的である、戦略と整合した体系的な人材育成になりえません。
学習成果を共有する場(社内LT、ナレッジ共有会)を設ける。
成果を称賛する仕組み(表彰、社内報掲載)で学習を可視化。
現場巻き込みとマネジャー役割の明確化
育成責任を「人事任せ」にせず、現場主導に転換しましょう。 前述のスキルマップは通常、各部の中期戦略にもとづく人材ポートフォリオを参考にします。 「経営目標達成のため、どんなスキルレベルの人材が・いつまでに・どの程度必要なのか」を部門責任者と目線合わせして育成施策を構築したうえで、そのスキル定着・習熟までの伴走は現場のミッションであることを関係者に浸透させましょう。
マネジャーが育成計画を持ち、1on1で進捗を確認。
現場での実践とフィードバックを制度に組み込む。
▶表1: 制度定着を促す現場支援施策一覧
施策 | 対象 | 解説 |
|---|---|---|
1on1ミーティング | 管理職・部下 | 学習進捗と課題を定期的に確認 |
学習成果共有会 | 全社員 | 学びを言語化し、他者に伝える場 |
育成計画シート | 管理職 | 部下の育成目標と手段を明文化 |
表彰制度 | 全社員 | 学習行動を称賛し、文化を醸成 |
ありがちな失敗が、人事やOJT指導者まかせで管理職層が育成監督者の自負が少なく、とくに若手に必要な”現場全体で育成する”という風土が醸成されていないことです。 このような事態を防ぐため、「育成計画シート」で現場関係者の責任を明確化することが重要になります。
最終章では、これら社内教育制度の要点を踏まえたうえで、日本企業の構造的な問題に対する打ち手、その成功事例を紹介します。
成功事例に学ぶ、改善の実践知
既述の通り、日本の社会人が「学ばない」のは、「個人の怠慢」というより構造の問題です。 これに悩む企業では、業務が学習より優先され、学習が“余力タスク”扱いになり、上司も学習の成果が見え辛く評価しにくい傾向があります。 これには、制度・設計・文化の3層からの介入が必要です。
またAI・DX化の進展や事業転換スピードの上昇により、汎用スキルよりも「現場で明日使える教育」の価値が高まっています。 本社主導だと教育目的・内容が抽象的になりやすいため、現場ヒアリングやAI分析のスキルギャップ特定等による「現場課題を起点」にしたコンテンツ作成が注目されています。 従来、こうした現場のデータ・事例の教材化には時間と労力を要することが課題でしたが、AIによるインタビュー文字起こしや教材作成の自動化が可能になったことで、現場と共創するコンテンツ作成は今後加速が見込まれます。
社内教育の障壁と打ち手
障壁に対する代表的な打ち手を紹介します。 冒頭で述べた通り、日本では他先進国と比べて学習時間確保の支援制度が少ないため、まずは「学習時間の確保」を制度化することが第一歩といえます。
▶表2: 社内教育の代表的な障壁と打ち手
障壁 | 打ち手 |
|---|---|
時間不足(業務が忙しく、学習時間が取れない) | 業務内学習制度、業務と学習の統合、マイクロラーニング |
意欲低下(学習が評価やキャリアに結びつかない) | 評価制度との連動、上司の支援文化 |
コンテンツ不足(現場に即した教材がない) | 現場ニーズの教材設計 |
企業の成功アプローチ
業務の中に学びの機会を設計することで持続可能な社内教育を構築した例、教育DXで学習の時間対効果をあげた例、上司支援の文化を醸成させた例を紹介します。
日本マイクロソフト「学習のための20時間ルール」
社員が年に20時間まで業務時間内に自己学習できる制度を導入。 学習内容は上司と合意し、スキルアップ計画に組み込まれるなど、 学習が業務の一部として公式に認められています。
<実施ポイント>
- 就業規則や人事制度に「業務時間内での学習」を明記する。
- 上司承認制にして、本人任せにしない。
- 週1時間~月4時間でも、まずは「時間確保」を可視化。
<実務アクション>
- 週1回の“成長タイム”を設定(例:金曜午後は学習・振り返り時間)
- チーム単位での「ラーニングカレンダー」を作成
ソフトバンク: 業務と学習の“統合”(オン・ザ・ジョブ化)
「社内副業制度」として本業の20%を別部署のプロジェクトに充てさせ、この結果、約8割の参加者が「新スキルを実務で獲得」と回答しました。
<実務アクション>
- 業務分担の中に「スキル開発型タスク」を設定。
- 現場上司が「学習成果の実務反映」を評価に加える。
トヨタ: 短時間・マイクロラーニング化による学習効率アップ
「TOYOTA LEARNING DIGITAL」では、全社員がアクセス可能なオンラインプラットフォームを運用し、AIレコメンドにより個人に最適化された短時間動画を配信。 従来の1〜2日集中研修を、5〜10分の学習モジュールに分割、通勤時間・待機時間などの「すき間時間」で完結できる形になりました。
<実務アクション>
- 社内LMSを導入し、モジュール単位で進捗可視化。
- 学習完了率よりも「実務反映」コメントをKPIに設定。
日立製作所: AI・データ活用による学習最適化
「Hitachi Academy」では、AIによって「誰が」「いつ」「何を学ぶべきか」を自動提案し、無駄な学習時間を削減。 AI分析でスキルギャップを特定し各人に最適化されたカリキュラムを自動推薦することで、年間学習時間が大幅に増加、離職率も低下しました。
<実務アクション>
- LMSや外部eラーニングと人事DBを連携。
- 学習履歴・スキルデータを基にAI推薦を導入。
三井住友銀行: データドリブン教育開発
営業職のデジタル理解度に大きなばらつきがあり、人事がテーマを決めるだけでは現場の“実務ギャップ”を特定できない課題を解決するため、“データ起点”で教育ニーズを見える化して個別最適化を実現。 これにより営業DXツールの定着率、AIスキル判定テストの平均スコアともに改善しました。
<実務アクション>
- AIによるスキルギャップ分析を実施(業務データ×受講履歴を解析)。
- 結果をもとに「現場ごとに異なる教育コンテンツ」をカスタマイズ。
- 動画教材+シミュレーション+チーム討議のハイブリッド構成を採用。
味の素AGF: 上司・組織の”学習支援文化”醸成
「マネジャー・コーチング制度」により、マネジャー自身が学習計画面談を実施。 学習進捗を1on1で共有し、成長を“共に設計”することで、学習支援が管理職の評価項目に組み込まれ、現場主導の学習支援文化を定着させました。
<実務アクション>
- マネジャー評価項目に「部下育成・学習支援度」を追加。
- 月1回の1on1で「学びの進捗」を共有。
まとめ
日本の(とくに大手)企業では、社内教育施策は多い一方、活用されていないケースも多いようです。 しかし、現代は「DX・人的資本経営・少子高齢化」の時代。 必要なスキルは3年で入れ替わり、採用への投資対効果は頭打ちです。 次々追加される新戦略の遂行に必要な人材を迅速に育てねばならない状況で、コストがかかる社内教育制度を形骸化させておく余裕は、もはや企業にはありません。 いま人事には、戦略上必要なスキルレベルの定義とギャップの可視化、学習時間確保をはじめ各種対策の実行、現場との役割分担を明確にした運用監督を機動性高く行うことが、強く求められています。
FAQ
Q1: 社内教育制度とOJTの違いは?
A: OJTは現場での実務を通じた育成で、即効性がありますが属人化しやすいです。 社内教育制度はOJTを含めた育成全体を体系的に設計・運用する枠組みです。
Q2: リスキルとアップスキルの違いは?
A: リスキルは「新しい職務に必要なスキルの習得」、アップスキルは「現在の職務のスキル向上」です。 社内教育制度では両方を意識した設計が重要です。
Q3: 教育制度を見直す最適なタイミングは?
A: 事業戦略の転換時、人的資本開示の準備段階、離職率や育成効果に課題が見られたときが見直しの好機です。
Q4: 教育制度の効果測定はどうすればよい?
A: 学習行動の記録、スキル評価、業務成果との関連性を指標化します。 360度評価や1on1のフィードバックも有効です。
Q5: eラーニングだけで十分か?
A: eラーニングは知識習得には有効ですが、実践・フィードバック・行動変容には限界があります。 集合研修やOJTとの組み合わせが必要です。
Q6: 社員の学習意欲を高めるには?
A: 評価制度との連動、学習成果の可視化、称賛文化の醸成が有効です。 自律的なキャリア設計支援も効果的です。
Q7: 教育制度の導入にかかるコストは?
A: 設計・教材開発・運用体制に応じて変動しますが、外部委託と社内運用のバランスを取ることで最適化可能です。
参照・出典
- ベネッセコーポレーション「社会人の学びに関する意識調査 2024」
ベネッセ教育総合研究所「社会人の学びに関する国際比較調査 ー日本・米国・英国・中国ー」https://benesse.jp/berd/koutou/research/pdf/kokusaihikaku_tyosa_20250819_web2.pdf
- フィンランド外務省「FINFO Education」 (2024年)
https://toolbox.finland.fi/wp-content/uploads/sites/2/2024/04/finfo_education_ja_pdf_toolbox.pdf
JETRO「スウェーデンに見る社会課題解決 教育現場のデジタル化 (1) 」 (2025年)
- 味の素AGF 「『コーヒーのプロを極める』〜社内資格“AGF®コーヒー検定”」 (2022年)
- 日経スマートワーク大賞2024人材活用力部門 ソフトバンク
- Benesse Udemy 「組織全体でUdemy Businessの利用を促進し、業務改善につなげる」 (2025年)
- 日本マイクロソフト「ワークライフチョイス チャレンジ2019 夏」
- ソフトバンク「スマートワークスタイルの推進」 (2021年)
- 日経ビジネス(2023年10月号)「現場が主導するトヨタ流DX人材育成」
- 人材教育(2023年12月号)「現場共創によるグローバル教育改革 ― 日本電産の事例」
- 日経クロステック(2024年5月)「三井住友銀行がAIで人材教育を再設計」
- Microsoft(2023)『Microsoft Learn for Organizations: Integrating Learning in the Flow of Work』



